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パフォーミングアーツについて

パフォーミングアーツとは? 突然ですが、パフォーミングアーツという言葉をご存知でしょうか? パフォーミングアーツは、演劇やアクションなど、ダイナミックな行為による芸術のことです。日本でも大学の芸術学部にパフォーミングアーツ学科があり、芸術表現の一つの手法としても今では広く認知されています。 また、古典的な演劇、オペラ、ミュージカルとの違いは明確に定義されておらず、パフォーミングアーツと舞台芸術との境界は年々あいまいになっています。 日本のパフォーミングアーツなら、国際舞台芸術ミーティング in 横浜をチェック! TPAMこと、国際舞台芸術ミーティング in 横浜は、舞台芸術に携わる人の国際ミーティングで、1995年から毎年開催されているイベントです。いまアジアで最も歴史ある舞台芸術のプラットフォームであり、情報交換、議論、交流の場となっています。 世界各国から200名近い舞台芸術関係者が来日し、総動員数は10,000人以上になる言わずと知れたビックイベントです。期間中には横浜の街でダンスや演劇など、パフォーマンスが目白押しです。 横浜トリエンナーレ、Dance Dance Dance @YOKOHAMAなど、横浜市ならではのプログラムも開催されています。いずれも国内外から高く評価されており、芸術の街横浜の地位を確立しています。 まとめ いかがでしょうか。芸術という観点から見ればまだ歴史の浅いイベントですが、「2月は横浜で舞台芸術」がスタンダードになるのもそう遠くはないかもしれません。次の2月にはぜひ参加してみては?

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パチンコについて

日本独自のギャンブル?「パチンコ」について 「パチンコ」は昔からある日本独特の遊戯施設およびそのゲームで、小さなスチール製の球を盤面にひたすら押し出し、球を特定のスロットに入れたら特典が得られるゲームです。 操作は非常に簡単で、右手にあるハンドルの回し具合でパチンコ玉の射出量や射出速度を調整するだけです。最近では、台の効果音や視覚的演出がものすごいことになっており、初めて利用する人は店内のつんざくほどの爆音に驚かされるでしょう。 地方都内問わず、パチンコ施設はどこにでもあり、駅前や繁華街で簡単に見つけることができます。お店の外観は電飾などでド派手に施されているので、とても目立ちます。 なぜパチンコ営業は合法なのか? 日本では公営ギャンブル以外の賭博が許されていないのですが、実はパチンコだけはグレーとなっています。1球につき数円で購入した球を使って遊戯を楽しみ、獲得した球でぬいぐるみなどの景品と交換する形態なのですが、実はこの景品を店のすぐそばにある買い取り業者で換金することができるのです。 結果的に元手を使ってお金を増やすことになるので、実質的にはギャンブルと等価です。しかし、パチンコ店と買い取り業者は別の事業者とみなされるので、グレーとなっているわけです。 まとめ いかがでしょうか。年齢制限はあるものの、海外からの来日旅行者でも、だれでもパチンコを楽しむことができます。日本でしかできない体験なので、日本に来る際には一度試してみてはいかがでしょうか。

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さまざまな情報を発信するニュースブログ

当ブログへようこそ! こんにちは!数あるサイトの中から当ブログにお越しいただきありがとうございます。 このニュースブログは、日本のニュース、最新のイベント、スポーツ、芸能、全国津々浦々の情報といった、日本に関するありとあらゆる情報を発信するニュースブログサイトです。日常の話題の種になるちょっとした小話から、日本の情勢を大きく動かすビックな話題まで、だれにでもわかりやすい形でお届けいたします。 舞踊や詩歌といった日本の伝統芸能など、今も昔も変わらないものももちろんありますが、日本におけるビジネス、経済、政治、ポップカルチャーなどは日々目まぐるしい勢いで変化しています。最新のトレンドを追いかけるために、ぜひこのサイトを購読してみてはいかがでしょうか? また、日本を紹介するサイトはごまんとありますが、我々の独自の視点、切り口から発信される情報は大手のニュースサイトなどにはない新たな価値があると思います。少しでも気になった方は、まず記事を見てみてください。 知識を深めるためにぜひこのニュースブログサイトをお役立てください これから日本を訪れるので日本についてもっと知っておきたい、日本のことが大好きだから日本についてもっと知りたい、友達に日本のすばらしさを紹介したいなどなど、とにかく日本に興味がある方、ぜひお好みのカテゴリーから記事を見てみて下さい。 これまで日本のことを全然知らなかったという人でも、このサイトで日本のことを知れば、きっと日本に一度来てみたくなりますよ。

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このブログについて

このブログについて。日本に関する情報を発信しています。 こちらは、日本の最新ニュースやスポーツ速報、ポップカルチャー、伝統芸能、トレンドなどなど、日本に関する、あるいは日本でおきているホットなトピックを世界に向けてお届けするニュースサイトです。日本国内に向けた発信になりがちなニュースの話題を再構築し、世界中の方にとってもわかりやすいものとして発信しています。 我々が扱うジャンルはとにかく多岐にわたります。いま日本で話題のカジノ法案に関連して、スロットゲームやオンラインカジノゲームなど、メジャーなニュースサイトが扱わないニッチなジャンルの話題も扱っております。オンラインゲームに興味のある方はぜひチェックしてみてください。 とにかく、日本に関する情報なら我々になんでもおまかせあれです。いまからこのブログを購読すれば、今まで日本のことを全然知らなかったあなたも、きっと日本通になれるでしょう。これから来日する人、日本への旅行を予定、検討している人にも、日本について学習するにはこのサイトが最適です。 日本のことを知りたいなら、今すぐにこのブログを購読しましょう! 日本で話題のトレンドは日々目まぐるしく変化しています。最新のニュースをキャッチして、ぜひ日本の「いま」を知るのにお役立てください。

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カルロス・ゴーンについて

カルロス・ゴーン被告逮捕から今まで 日産自動車株式会社の前会長カルロス・ゴーン被告(64)が昨年の11月、役員報酬を過少申告した有価証券報告書の虚偽申告により得た金を私的に利用していた、という疑いから、金融商品取引法違反の容疑で逮捕された。事件の発覚から二か月近く経過したが、カルロス・ゴーン被告側と原告側の議論はいまだ平行線となっている。 現在もゴーン被告の勾留は東京拘置所にて続いている。ゴーン被告は体にトラッキング用のGPSを装着するといった、あらゆる条件を吞むとしたうえでの保釈を要求しているものの、東京地裁は二度目の保釈請求を却下するととの意向 を先日明らかとした。 ゴーン被告の妻キャロル氏もゴーン被告に対する拘置所での不当な扱いに対する声明を出しており、強く心配していると述べている。キャロル氏は、夫であるゴーン被告は拘置所内で高熱を出しているものの、医師によるケアが受けられていないとして、東京拘置所側の対応に対して激しい非難をしている。 家族およびゴーン被告本人は一貫してゴーン被告の無実を主張しているものの、自体は終始平行線をたどっている。 カルロス・ゴーン被告の勾留はさらに長期化する模様 東京拘置所に勾留されてからすでに二か月余り経過しているが、ゴーン被告の勾留はさらに長期化するものと考えられる。今後の展開は不明だが、自体が長期化することは避けられそうにない。

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ゴジラ、メイド・イン・チャイナ 子供の頃、よく怪獣遊びをした。レゴで作った町や、枯葉や木切れの大都会を、ビニール製の怪獣を闊歩させた。何をやっていたのかは憶えていないが、それが楽しかったことだけは分かっている。けれど、その怪獣に不満を持っていたのも憶えている。怪獣の目や模様の塗り方が雑だった。今見ると昔の映像はチャッチィけれど、当時の私の目にはリアルで、当時の怪獣のオモチャは、たとえ高いものであっても、かなりチャッチィものだった。材質もデザインも、色の塗り方も、子供だましの域のものが多かった。この白い点が、もう0.5ミリ右に寄っていて欲しいとか思って遊んでいた。だから自分で描き足したり、ヤスリをかけたりして壊して(?)いった。親から見ればゴミのようなものが、私の宝であった。 その頃から約30年を経て、驚きに出会った。バンダイ製「ゴジラ名鑑」。そもそも本物の怪獣デザインを担当するような方が高々8cm程のゴジラをデザインする。そしてそれが200円で販売される。完全な通常の量産品。そのこと自体が驚きだが、実物を手に取ると更に驚きが深まる。 手足の爪の塗装は二重になされている。一度薄い色が塗られ、その上に少し濃い目の黄色っぽい色が塗られる。発色を考えているのかもしれない。目も少なくとも二工程はかかっている。塗りだけじゃなく細部にわたるまで、心憎い「作り」をしている。型が取り易く組み立て易く、部品に分けるところにも感心する。ここで組み立てるようにすればゴジラ本来の姿を崩すことなく組み立てられるんだ。私のような素人目にも、たぶん製造工程で何か手落ちがあっても、最終製品にでる悪影響を最小限に抑えられるようにデザインされているのが分かる。子供の頃欲しかったゴジラがここにある。手に持ち色々な角度から眺めてみる。もう帰れない子供時代を懐かしく思う。あぁこうした本気で作られたオモチャで遊びたかった。これが量産されていることに溜息が出る。 複数種類あるゴジラで共通しているのは、ゴジラの背びれ(?)の部分が体と一体化していない点。背びれを持つと引っ張るようにして取り外すことが出来る。そして、その背びれの塗装がされていない素材地のところに「CHINA」の文字。 どんな工場でこのゴジラが生産されているんだろうと想像する。どう考えても、昔のゴジラに対する想いが強い人達を集められたとは思いにくい。教育のために何本か映画を見たかもしれないが、後付でゴジラの記憶をインプットされた方々が、この製造に関わっていると想像する。しかし、それを手にして眺める私達の気持ちをよく分かっている。数センチのモノだからこそ、塗りの正確さも、従来製品よりも厳しく、スキルが要求される。もしかしたらかなり機械化されているのかもしれないが、200円で販売されるものである、人力で作られていると想像する方が自然だろう。 中国の力は様々なところで報道されているので、周知のことだ。しかしその実力をまざまざと見せ付けられる思いがする。ただ労働力が安いのではない。その製品を実際に手に取る人の心の機微に触れる仕事をしているのである。もちろんバンダイの管理体制の勝利の面も強いだろう。しかし、これはメイド・イン・チャイナである。 近い将来、Webのデザイン界にもチャイナパワーが入って来る予感がする。その時、日本語も英語にも長けた中国デザイナが口にする言葉が頭に浮かぶ、「日本のデザイナ、日本人の心、分かってないね」。 別に私は国粋主義者でもないし、文部省の定義するような愛国心も持ってはいない。しかし、屈辱だと感じると思う。世界中が繋がっているインターネットの中で国を意識するのは変な話だと思うけれど、それでも日本にアピールするデザインは、日本に住んでいる者達(ここは国籍不問)が長けていたいじゃないか。 Webデザインの分野は、まだまだビジネスの側面では「お飾り」として認識されている。GIFパーツが一個数百円でやり取りされている。着せ替え人形に騙されてくれるほど、エンドユーザは馬鹿じゃないし、甘くない。そんなやり方で、訪れたユーザに何かを直訴することは難しいのだ。しかしどんな理想論も正論も、価格の前には説得力が落ちる。中国の労働単価は驚くほど安い。私一人の単価で十人も二十人も雇える。十人のユーザビリティテスタ付きのデザイナと張り合うのは、常人には難しいだろう。そして実に勤勉だ。言葉の壁はさほど高くないかもしれない。この流れの先には、デザインの中国発注も絵空事ではない。アニメの作画をアジアで行っていくように、Web制作もそうなっていくかもしれない。そしてその理由が、ただ「安い」だけではなく、「理にかなったデザイン」になるかもしれない。 Ridualを見せに行脚していると、どちらかと言うと最新技術との接点に関する質問を受ける。そしてそれらをサポートできないと興味がないと言われる。しかし、いざネットでモノを買うなり予約するなりする際に、日本のサイトの平均値が見えてくる。何故そのページの後にこのページが出現するのか理解できないことが頻発する。購入中に自分が何処にいるのか分からなくなる。買いたいのに買う手続きが分からなくて文字通り右往左往する。技術とか見た目とか、そんなレベルでなく、頭を抱えるサイトはゴロゴロしている。最新技術がどうとか以前に、情報のデザインをすべきだと言いたくなる。 情報デザインは、別に特別なことをする訳じゃない。隣の人が迷わないようなサイトを作ること、自分の親や近所の人が迷わないサイトを作ること。そうしたことの延長線にあることだ。こんな場合ヒトはどのように動くのか、そんなことに注意を払っていくことが原点だ。それは、ゴジラファンがゴジラ名鑑の人形を持ったときにどう感じるのかを想定して製造されるのと無縁ではない。有形の量産品に魂を込めて作ることが出来るなら、無形の情報デザインもそれほど困難ではないだろう。いや、既に多くの海外勢がこの業界にも来ていて、私が見えていないだけかもしれない。 外国勢に自分達の力量のなさを指摘されるのを屈辱とは思うが、でも同時にワクワクするという感じもする。誰が作ったかに依らず、今でも素敵なサイトを見つけたら、「やられたなぁ」と言いつつ向上心に火が灯る。もっと良いものを作ろう、作りたい、しっかりしなきゃ。そんな気持ちが湧き上がる。 そんな炎の燃料は、やはり頑張る意思と頑張りしかないだろう。先日の日経ビジネスの特集のタイトルが手厳しい、「もっと働け日本人」。しかし中を読むと励まされる。身近に頑張っている人たちが既にいる。頑張れない訳じゃない。やる方法はある。方法もボトムアップもトップダウンもある。しかも書かれてある方法は奇抜なものじゃない、今当たり前と思っている事柄を別の角度から見直して、強靭な意志で実行しているだけ。そうやれば出来る。そうすれば、より高みに到達できる。 人参をぶら下げられて、走っていたこともある。その人参は、僅かな格差であったり、地位だったり。でも今は、ぶら下げる人参を、かなり自分で選べる状況になってきた。何を得るために今を頑張っているのか。自分でリスクを負って生きるとはそういうことなのだろう。本質的な問題に直面している。きっと、誰もが。 日経ビジネス 2003年01月27日号/特集:もっと働け日本人 以上。/mitsui

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セミナー 1996年当時、マルチメディアスクールに所属していたこともあり、頻繁にセミナーや授業に参加した。PhotoshopやIllustratorを学んだのはそこでだった。最近、後進育成という言葉を私自身が口にするようになっているので、現状を知りたくて、時間と予算があればセミナーに参加している。 5年強を経て、何か異なるものを感じている。5年前、教えてくれたのは、「オペレーション」だった。ソフトの使い方。与えられた教材に従って、例題通りのモノをどう作るかを教わる。もちろんテクスチャーとか形状とか自分の好みに合わせる自由度は当時もあった。しかし、どこに使用するツールが隠れているのか、それを使うと何ができるのか、という知識。 最近のセミナーで特に感じることは、講師の方の自己流の作品の作るプロセスを語っている。先日受講したものは、きちんとバインダーに収まった教科書は存在したが、開いたのは数回。数時間毎の休憩前に、「だいたい今でこの辺りまで、やったことになります」という台詞と共に数秒開くだけ。授業のやり方も、生徒がついてきているかどうか、殆ど見ない。ツールの呼び出し方や操作法は詳しく説明するけれど、「そうした操作法を覚えてもしょうがないでしょ」と背中が語っている。 このソフトで一体何が出来るのか、そして一般的にはどう操作するのか、その二点だけが分かっていれば、後は自分の才能と相談して格闘しなさい、と言っている。先生の言う通りの作品が出来たところで意味はない。ソフトを学ぶ気概がある者は、そのセミナー終了後から色々とドロドロな開発の道へと進んでいく。それが分かっているからこそ、基本的なオペレーションに重点を置かずに、どこまで到達できるのかを見せてくれている。セミナーの間中、基本的に私が出来たことは、講師の引き出してくるツールの場所を確認して、目の前に示される作例よりも見劣りするサンプルを作った程度。与えられた時間の殆どを、講師の手さばきを見ていた。 あ、これが技術を盗むということなんだ。そう思えた。大きな展示会に著名なデザイナが目の前で何か作ってくれる時、目を皿のようにして見つめていた。Photoshopも、Painterもそうして益々好きになって行ったことを思い出す。最近のセミナーは、一概に言えるものではないのだろうけれど、テクニック公開道場の匂いがする。ここで盗むこと自体を体験しろ、と。 3Dソフトのセミナーで、講師は最後にこう言った、「この3Dソフトを、テキストエディタのように使いこなしてください」。アイデアが浮かんだら、最も軽いアプリであるテキストエディタでアイデアのスケッチをするように、3Dで記録しろ、というのである。手足のようにそのソフトを使えるようになれ、と。そして、そのセミナーの中で見せられた実演は、そうした神業と思えるようなことが実際に出来るのだという事実だった。 既成の「授業」に慣れている者には苦しい時間だったと思う。テキストはあったが見られることもなく、少しでも聞き逃したら次のテクニックに話題が移っている。ついて来ているのかの確認も殆どない。しかし、こんなチャンスはないのである。手取り足取り教えられることはないにしろ、一流のアトリエでその作る様を一緒に体験できているのである。 綺麗な教科書、考え抜かれた例題、やさしい先生。そんな既存のイメージは殆どない。しかし有意義な時間。綺麗な教科書よりも使えるデータ、決まったパターンの作例ではなくオンデマンドでインタラクティブな授業の進み方、良い先生であるよりもその道の一流の専門家。教育業界は、こんな風に変わってきているのかもしれない。 複数のセミナーで共通なのは、アイデアの源みたいなものを一生懸命教えてくれること。それは商売ネタだろうと思うようなことを語ってくれる。自分がどうやってこのアイデアにたどり着いたか、自分は何を参考にしたか。「マネをした」という表現すら使う人もいる。もちろん盗作とかのレベルではない。最初の開拓者への敬意も忘れていない。そのアイデア帖を公開するような行為は、実は「皆で」よりよい世界へ行こうよ、と言っているようにさえ見える。アイデアを独占する方向ではない。皆でこれを土台にもっと上に行ってみないか、と誘っている。「今明かしたアイデアにピンときたら、凄いものを作って、後日僕を感動させてくれ」。ここでは最早先生と生徒という関係ではない、共にレギュラー争いをする先輩と後輩みたいな関係に近い。 数年前シリコンバレーで企業の壁を超えて技術論議が、カフェ等でよく行われていると聞いて羨ましいと感じていた。でも実はそんなことは既に日本でも行われていたのだ。有料のセミナーだけではない。有志が、本当に志がある者達がボランティアで様々な啓蒙活動をしている。頭が下がる。セミナー後も1つのURLが知らされる。そこに肝心なことは書かれてある。セミナー中も必死でメモる必要もない。いい時代になったと感じる。ここで楽してたらバチが当たりそうだ。 でも、問題も生んでいる気がする。まず受け手と与える側のズレの問題。セミナーの姿勢が変わっているのであれば、受ける側の姿勢も変わっていないとズレが起きるのが道理だ。本屋で三千円で売っている本を読めば分かることを、数万かけて習いに来る人もまだ居るだろう。期待が高すぎて、講師の能力がついて行かない場合もあるだろう。後者は特に展示会のサポートブースでよく起こる。質問しても質問内容が分からないベンダー社員が居て、横に立っている見知らぬお客さんが教えてくれたりもする。 進んでいる講師陣のレベルまで、私たちは追いついていっているだろうか。そうした底上げ啓蒙活動も、これから益々必要になるのかもしれない。「ゆとり」教育の名の下に、上げ膳的据え膳的に授業を受ける子も増えるかもしれない。何を知りたくてここに居るのか、何を伝えたくて教壇に立つのか。昔は考えなくても良かった問題が目の前に横たわる。 先日北陸でのFlashセミナーに参加した。失礼ながら想像していたのは少し暗めの進行。しかし講師の方の実力もさることながら、参加者の熱意が伝わってくるものだった。笑うべきところでしっかり笑い、唸るところでも声が聞こえる。首都圏のセミナーより反応がストレートだ。講師の側もノリが良かったんではないだろうか。 学ぶ意思、伝えたい意思、それぞれのレベルの上位層(平均層ではない)が徐々に上がってきている予感がする。これが広まって欲しい。格差が広がっている危機感が外れますように。 以上。/mitsui

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希望 Ridualの話をさせてもらうとき、幾つかのパターンで話させてもらう。Webサイト作りに一番大切なのは時間である、そして最終成果物を見て、今現在何をすべきか考えるべきである、と。 時間の話はとにかく立ち止まっては駄目だの一言に尽きる。人は考えるものである、だから時間を与えては考えてしまう。逆説じみているが、サイトはアイデアが浮かんだならそれが旬である、出来得る限り迅速に作り上げた方が良い。どんなに更に良いアイデアが浮かんでも、全体の調整からし直すのであれば黙った方が良いときもある。完成しない作業はデザイナを殺す。 最終成果物の話は、先日は国語のテストを例にして話した。国語の読解問題。問題文を読んでから設問を見るか、設問を読んでから問題文を見るか。決められた時間内に迅速に答えようとするなら、大半の人が後者を選ぶだろう。サイト作りも同じだと思う。クライアントが抱えている状況(問題文)を読んでから、どうしましょうかと考えていては駄目である。ドキュメントの提出期限が迫ってから、どういったフォーマットで資料出せばいいかと考えながらワードを開いては駄目である。運用を開始してからログの解析方法やそのフィードバックを考えていては駄目なのである。何事も先手先手で先ず設問となることを頭に入れてから、目の前の状況に接していくべきだ。 そうした体制作りは、アウトプットとしては提出物の体裁であったり種類であったり数だったりするのだが、多分先ず「設問を読む」という部分に理解や共感が無くて形から入ってしまうと、加速装置のつもりのワークフローが、単なる負荷になってしまいかねない。こうあらねばならない、と頑なにデザイナがワードやエクセルで青くなっているのは哀しい。 自分達がやり続けていける体制を早くから確立できたところは成功に進んでいける。成功は経済状況ではない。仕事をしている開発者が活き活きしている状況を指す。何のために働いているのか。まるで苦行のようなものだと割り切っている人にもたくさん会って来た。労働はエンターテイメントではない? 正直言って賛成できない。店員が輝いていない店で、好んで買い物をするだろうか。 先日のとあるセミナーで、Ridualをお見せしたときに衝撃的なコメントを頂いた。「仕事をしていくうえで、希望が持てました」。別にRidualを使うと、薔薇色のサイト構築環境になる等と誇大広告をした訳ではない。サイトマップが自動生成できて、それなりのファイル解析が行える。そのためには色々と憶えることも多々ある。でも既存のツール群と連携する道は開けている。それは例えば、RidualではXMLとJava。そういったいつもの内容を話しただけであった。 このコメントは、私の中で、当たって欲しくない予感を更に強めた。最近サイト作りって魅力が薄れてきているんじゃないか、という予感。華々しいことをしている人はとっても限られていて、新しくこの世界に入ってきた人は昔の雑巾がけみたいな修行時代がずーっと続いているような予感。アイデアは浮かんでも、それを実装するための時間が別のことに丸呑みされて悲鳴をあげたくなっているのに、それでも声を押し殺して耐えているような予感。 どんな時にそんな予感が背筋をつたわるのか。例えば、自分でサイトデザインしていてブラウザチェックする時。例えば、読まれないと分かっているドキュメントを山ほど書かなくてはならなくなった深夜のオフィス。例えば、子供と丸々一週間会えないとき。子供に誇りたい仕事の内容に不毛感を感じるとき。 でも自分でそんな嫌な予感を打ち消すように、上や前を向ける時もある。優れたサイトに出会った時。優れたサイト開発武勇伝に触れた時。活き活きとした誰かに業界内で会えた時。 授業参観なんかで学校の子供達に直面するとき、目が空ろだと気が付くと悲しくなる。サイト開発者がヘトヘトで参っていると、話していて辛くなる。もっと楽しい世界だったじゃないか、と叫びたくなる。いつからこんな色に染まってしまったのだろう。 昨年3Dのセッションに行ったとき、反対の意味で背中がゾクゾクした。活気があるのだ。7年ほど前のWebのセッションを思い出した。その時、そこにいる人たちは、基本的にはWeb屋さんではない。ゲーム屋さんだ。ここに流れていってしまったんだ、と直感した。しかし、目の前で話されているセッションの内容は、3Dコンテンツの作成素材や完成映像などのリソース管理システムの話だ。Webでもコンテンツマネージメント系の話は面倒で自由度が少ないので敬遠されがちだ。しかしそこでは、活気を失わずに聞かれている。 3Dの世界は、レンダリングに時間もCPUもかかるので、その分無駄にできない。誰もが初めて見る映像にチャレンジできる土壌もあって、管理系には力が入る。そういった体制がしっかりと根付いている。しかも、発売してみないと莫大なコストの回収ができるかどうか分からない、というリスク系チャレンジ。活気ある者たちを惹き付ける魅力に溢れている。しかし、多分それだけじゃない。やはりゲーム開発会社の人の活かし方が上手いのだと思う。育て方が上手いのだと思う。楽しんで開発しているんだと思う。 「仕事をしていくうえで、希望が持てました」、とコメントした方は、現実のサイト開発に何を見ているのだろう。延々と続くエンジニアとデザイナの確執だろうか、延々と続くブラウザとの格闘だろうか。延々と続く散在するファイルとの闘いだろうか。でも、多分まだこの業界から離れられないのは、やはりWebに魅力があるからだろう。 情報にアクセスすること自体が大変だった数年前から、ビデオやライブが流れるようになるまで、たった数年。日々流れてくる情報に一喜一憂し、時に流され、自分を見失いもするが、助け手をネットの中に見つけたりもする。情報の道路工事現場に輝く魅力は、実は少しもくすんではいない。だからここから離れられない。そうした仕事をすることに誇りを持てる、だから更に離れ難い。 開発ツールやメンテナンスツールは色々と出てくる。でももっとデザイナを守ってくれるツールが出て欲しい。Ridualに込めた願いである。私たちは楽をしたいんじゃない、良いモノを作りたいんだ。 最後にWebデザイナの女工哀史的な状況を想う度に、浮かんでくる詩を。僕らはもっと活き活きできる。 ぼろぼろな駝鳥 何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。 動物園の四坪半のぬかるみの中では、…

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人材育成と子分育て 人、特に後継者を育てる方法は多々あるだろうが、大きく二つに大別できる気がしている。特定の候補者に集中して育てていくタイプと、全体を対象に育てながら結果として数人に絞るタイプ。 どちらかというと、前者が圧倒的に多く目につく。これはと思う人間にどんどん仕込んでいく。常に侍らせる。何事も相談し、相談させる。上司が行けない会議でも、あたかも自分がいるかのような雰囲気を作り出す。 しかし、難点もある。その本人が高ぶらないか。結局決断を聞きに上司の所に行くので、単なる伝書鳩になっていないか。本人が自分のカラーを出すのを躊躇していないか。その本人はどうやって、「その次」を育てていくのか。そのタイミングはいつからか。その人ばかりが部長室に呼ばれて、チームメンバは平気なのか。実力はチームメンバ誰もが認めているのか。結局仕事の効率が良くなったのは、楽になったのは、その上司だけではないのか。 後継育成は一時の話ではない。絶え間なく続いていくものだし、後継者を意識することは、自分の引退も意識すべきものなのかもしれない。但し、引退とは文字通りの意味だけでなく、新しい開拓に出ることも意味する。自分が開拓した分野を、惜しげもなく次に譲り、新たな場に進んでいく方を何人か見てきている。そうした引退には、淋しさはない。荒野に向かっていく凛とした姿。あるいは、憧れ。あるいは、世俗的にもっと楽に生きればいいのにと、勿体無い視線。しかしやはり根底には尊敬の眼差し。 決められた一人、あるいは少数を育てていくのに対して、一度に全員を巻き込んでいく教育もある。上司が、誰とでも隔てなく話し、権限をプロジェクト毎にまわしていく。それぞれに適切にアドバイスし、自分のコピーを育てるのではなく、新たなリーダを育てる。自分のカラーを継承することは余り頭に無いように見える。いや、そもそもその上司自身が常にそのチームの中で影響を受けつつ変わってきている事を自覚している風にさえ見る。 だから、ある時点である仕事を任せられる人を指名せよ、と言われたら。多分毎回違う人材が頭に浮かんでいる。だからプロジェクトの方向性をみつつ、今回は誰々に任せる、と振り分けができるのだと予想する。当然ながら、上司に求められる能力は圧倒的に高度だ。仕事を見つつ、人も見る。でも、そのための役職なんだろう、本来は。それで、そんな上司から意外な局面で指名されると、アドレナリンが噴き出す。既存の忠誠心ではない忠誠心に火が灯る。 どちらのチームが強いか。根本的にはそのチームのメンバに依る。誰でも彼でも、チームを率いていける訳ではないし、仲の良い悪いもあるだろう。しかし、私の少ない経験では後者のほうが、打たれ強い。多少の波風では余りパニックにならない。いつも自分達なりに決断して実行していくことが訓練されているからだと思う。しかし、前者は後継者が余程リキを入れて育てていないと、チームメンバ各自が自分には命令が降りてくるものだと勘違いしていく。自分で考えないで、指示された方向に進むだけだと、ある意味楽である。どんなに愚痴や文句を言っても、決める責任はやはり重い。だから人は流される、楽な方へと。待ちうけモード。 デザイナは個性的な人が多い。昔はそれは褒め言葉だったけれど、最近は違う意味にも使われる。「コミュニケーションができない」という意味にも使われる。同じ仕事仲間、ツール仲間とは話ができる。しかし、その枠を超えられない。批判は多々聞くけれど、でもそれはエンジニアも同じこと。デザイナに負けず劣らぬ人見知りの強いエンジニアは多い。 そうした人たちが、上司やクライアントとの接点を減らすと、その人見知り度が加速する。全然話が通じなくなる。そうした問題を、その人は人前に出ないんだと片付けることはできない。得てして、ユーザーインターフェースの良いディレクタが倒れて、どうしてもそうした人が説明しなければならない場面は、一番辛い状況で降って来るものである。 また、どんなに良い後継者候補でも、その上司としか話さないと、その上司の癖にしか反応しなくなる。そうしたことは、こんな風に提案するんだよ。その上司にしか通用しないノウハウが誇りになる。その上司専属になった「かつての」有能な人は、少し哀れだ。 三国志を新たな視点と描写力で語り継いでいるコミック:蒼天航路 101話(コミック第9巻/文庫本第5巻)に、こんな話がある。曹操が、郭嘉(カクカ)ら軍師を呼んで一人ずつ報告を聞いている。人材についての報告を聞くシーン。 曹操:次ッ、人材! 郭嘉! 郭嘉:帰服を求めて続々と集まってくる諸侯を編成しておりますが、     際立って優れた将が見当たらぬのが現状です。 曹操:話を先へ 郭嘉:また抜擢しようにも、凡庸なる将のもとに優れた兵卒がおるとも思えません。 曹操:先へ…

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