コラム No. 38

休息

仕事のやり方を見ていて、2つのタイプがあることに気がつく。1つは休息をとるのが上手な人と、それが下手な人。

昔米国でゴールドラッシュが起こったとき、多くが我先に西部へ向かおうとした。なんでも現地集合した順に良い場所をあげるという話だったようだ。鉄道の駅に近い所が「良い場所」を意味していたようだが、とにかくパイオニア精神溢れる家族が大移動を開始した。アメリカ大陸の横断である。簡単に行ける距離ではない。パイオニアの大部分は、かなりの距離を毎日進み続けた。しかし、ある牧師家族は日曜日ごとに「安息日」を守り、週6日しか移動しなかった。その結果、毎日進み続けた家族は、家族本人も牛馬も疲れ果て進度が鈍り、一番良い場所を手に入れたのは、その牧師であった。

どこまで本当かという点は置いておいて、時々思い出す話だ。毎日毎日まるで追われるかのように仕事に就く状態の中、このまま走り続けた先には何が待っているのだろうと疑問に思うことがある。若い頃であれば体力を信じて突き進むことも可能だった。しかし、どこまで自分が持ちこたえられるかの自信が徐々になくなって来ている。昔なら30分でやれた作業が、取り掛かるのに時間がかかり、出来上がったモノも良く見るとタイプミスがあったりする。

Web界の大御所の一日が分かるような記事が幾つかの紙面に載る。読んでいて、ため息が出る。朝早くから釣りに行ってから仕事にかかる方。朝日の中、釣竿片手に川の中にたたずむ写真が、目に痛い。そうした充電がああした作品の下地として横たわっているのか。ある人はパソコンを置いて南の島に数日間。筆と紙でスケッチをし、モノの感触を確かめるような数日間を過ごしたようだ。モニター、そもそも電気がなければ何も出来ない生活を続ける者には、日の昇りとともに生活が始まり、日の暮れと共に活動が収束していく生活は、羨ましいだけでなく、最早忘れてしまった「ほんものの生活」のように感じる。

SOHO系で頑張っている人は、常に頑張らなくてはいけない症候群にかかっていると聞く。誰も他にいないのである、まるで遊ぶことや休憩することが罪であるかのような感覚に追われ続ける生活。会社という枠の中では自分らしく働けないという理由などで独立したのに。でも、サラリーマンだってそうそうお気楽な家業ではなくなって来ている。何をやるにも査定やら、石橋も叩き壊すほどの確認がなされる。常に頑張っていないといけない緊張感はある(まぁ、ない人もたまにいるけれど)。

疲れが溜まるとろくなことがおきない。風呂で寝込んでしまって溺れかかったり、深夜キッチンで寝込んでしまってコックリした弾みで頭を強打したり。そうした肉体系の話もあるけれど、今までだとここでアイデアが出たのに出ない、という引退を考えるような状況に陥ることが一番辛い。何かアイデアの尻尾みたいなのが見えるのに掴めない。もう少しで覆っている幕を剥ぎ取ることが出来るのに、手が出せないで正体が見えない。喉まで出掛かっているのに、人に説明が出来ない「もどかしさ」。

劇場の俳優達は健康管理が仕事のようなもののようだ。1ヶ月やそれ以上の期間、同じ役を異なる客の前で演じる。勿論気分気力体力の上下動はあるだろうが、下限が平均値よりも高くないと、来てくださるお客さんに失礼だ。だからその間の健康管理には並々ならぬ注意を払う。先日何かで読んだのでは、感覚が鈍くなるから風邪薬ものまないという。華やかな表舞台からは見えない、苦労に裏打ちされた何かがある。

Webサイトを作る上で、似たような感覚を持つことがある。1つのサイトを構築できても、それだけでは良くない。作り続けることが肝心だと思える。初日だけ見事な演技ができても駄目なように、演じ続けることにも価値がある。勿論一瞬の演技、その時にしか目にすることが出来ない演技もあるだろうが、でも一瞬芸ではWeb屋ではない。家業にするなら続けなきゃ。

じゃあ、どうすれば良いサイトを作り続けることが出来るのか、走り続けることができるのか。最初に戻るのだが、早朝の釣りや南の島なんだろうと思う。余りに今までの自分のライフスタイルと違う世界を夢見ても良くないだろうが、自分なりの充電の仕方を見つけることが大切なのだ。映画を見たり、温泉に行ったり、ヤケ食いが充電になる人だっているだろう。そんな自分の避難所、充電(ガソリン)スタンドのような場所をキチンと持っていることが飛躍できるかどうかの分かれ目で、次に必要なのは倒れる前にそこに一旦逃げ込む勇気か。

参加は出来なかったけれど、たしかFlashの開発者向けのカンファレンスで、映画を見るという話を聞いたことがある。Flashの優れた作品を見、技術を語り、Matrixのような映画を見る。予めアジェンダを伝えておけば、その共通の人たちが集まる。そしてそれが成立するだけの共通項があったのだと思うけれど、こういう余裕のあるプログラムっていいなぁと感心したことを憶えている。映画を見ながら、リフレッシュもし、そこからヒントも頂いてしまおうとい企画。ギチギチのカリキュラムより、得るものは多いのかもしれない。

自分の「引き出し」という言葉もよく耳にする。行き詰まったときに、どれほどのアイデアが出せるかのアイデアの集積所のこと。休息をとるとき、実は何かがこの引き出しの中に自然と入ってくるのだろう。だから休息後に、本当にリフレッシュして再度頑張り始めることが出来る。

そこまで分かっているのであれば、準備すべきだろう。サイトを作っていてここで現場は泣くだろうと感じたら手を打つように、自分の生活もここで詰まるだろうと「読み」を効かせて、詰まらないように手を打つ。長く頑張る人は、キチンと休める人である。そしてこれは、キチンと休ませない上司は、完走を目的としていないんだという意味でもある。

若い人を見ていると、自分の遊ばせ方を心得ている人が多い。先日も、一週間休みますと言って、隣のチームの新人がニュージーランドに飛び去った。フットワークの軽さも行動力も羨ましい。人間はロボットではないので、加速する技術に常に行動を共にすることは出来ない。休み方を知る。これも加速時代の知恵かもしれない。

以上。/mitsui

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