コラム No. 39

学生

先日ひょんなことから、某マルチメディアスクールの卒展みたいなものに呼ばれた。ただ座って、学生の発表を聞いていれば良いのだと、気楽な気持ちで招待を受けたのだが、当日受付で講評をしてくれと頼まれた。

Webサイトを見回りながら、色々と辛口の独り言はぶつぶつと言っているのだが、公の場で、しかも作った本人に対して、たった今見せられたサイトに対するコメントを述べろ、というのは、さすがに厳しいことだった。

学校で選んだ作品10数点。それを作者が自分の口で約5分間説明する。グループで作ったものもあれば、個人で作ったものもある。気がついたことは、発表する学生自身がとっても仲がよさそうに見えたこと。ステージの下にまとまって座っていたが、発表のために立ち上がるときも、それを見送るときも、終了して戻ってくるときも、なんだか仲が良い。悪く言えば、緊張感が余りない。よく言えば、羨ましいほどの連帯感。

Web系が半分、3D系が半分といった構成。講評すべき相手は予め指定されていた。だからその人の発表まで、落ち着かない。どんなモノを見せられるのか、良くても悪くても、と考えてドキドキしていた。自分の相手に番になり、プレゼンが済む。Flashのサイトだった。出来も水準を越えている。

でも敢えて辛口のコメントを幾つかした。これからWebの業界で生きていくのに必要なモノに少しでも触れるようにした。なんだかすっかり老婆心である。どんな才能ある人でも、頑ななSIベンダーやクライアントを相手にするならば、アーティスティックな才能だけでは超えられない壁がある。それを乗り越えるしたたかさは、学生のうちから見ておいても良いのではないか。

いつもは、クライアントの(たいていは漠としている)要望に対して、こんなのはどうでしょうかという実装のプランを作るのが仕事だ。そのアイデアが先にあって、そのテイストを実現できるデザイナを捜し、絵を探す。囲って居るデザイナがいる訳では無いので、デザイナに合わせた提案を考える訳ではない。こちらで考えたアイデアを具現化するにはどのイメージが最適かという順序で頭が回る。

だから講評の場では、いつもと違った順序で作品を見ることになる。イメージを見せられて、これを何処かに提案するとしたらどこだろう。どのクライアントさんだろうか、どういった仕組みを持ったサイトだろうか。そうした意味で頭の体操のようで、自分がどう考えるのかも楽しめた。確かに日常ブラウズしている時と余り変わらないのだが、講評をしなければならないというアウトプットが必須になると態度が変わるものだ。

総じて言うと、さすがに学校が一旦フルイにかけた作品だけあって、そのまま世間に出してもおかしくない。いや世間一般のサイトよりキチンとまとまっている。情報整理のしかたから表現の仕方まで、いわゆるセオリー通りのきっちりした開発フローが見える。もう少し学生らしい冒険をしたら良いのに、等とすっかりオジさん口調の感想も持つ。けれども、少し違った感慨に襲われた。

私がWebの世界に飛び込んだとき、まだまだ黎明期と呼べる時代で、勿論大学を出たての頃には、Webデザイナなどと言う職種は無かった。最初の職を辞したときも、マルチメディアスクールは存在したが、まともな授業は余り期待できるものではなかった。正直に書くと、そうした学校のサイト自体が重く、構成も画像処理も素人の域に近かったことだけが記憶にはっきりと残っている。

それが今や自分たちのやっていることを、追いつけ追い越せという世代がそれなりの品質の作品を掲げて育ってきている。産業と呼べるのかどうかは分からないが、その開拓期に自分たちが多少でも関わってきたモノが一本の道として伸びて行っているのを、改めて感じた。Web雑誌も出ていることだし、関連セミナーも頻繁に行われているので、当たり前といえば当たり前の事柄だ。けれど、実際に活気あふれる新人達の姿を間近に見ると、なにか違った感覚を持ってしまう。どこか、自分達の世代の中だけでこの仕事をやりくりしている様な感覚というか危惧を持っていたのかもしれない。

あぁコイツ等が後を継いで行くんだ、と引退ジイさんの気分に浸る。でもそういうのって満更嫌いではない。自分の仕事が終わり、誰かがそれを違った形で継いで行くってのは、気分がいい。自分の仕事を棺桶までもっていける訳でもなし、継がれて花開く方が心地よい。継ぐ者が進みやすいように、道を整備してあげたいとさえ思う。

発表会の後に懇親会がもたれた。悩んだけれどそこにも顔を出す。自分が講評した人にもう少し言葉を足してコメントしたかった。後で聞いたら、無愛想に辛口なコメントを吐く私は、ヤク○ッぽく見えて怖かったそうである。それでも、自分の製作意図を述べ、私のコメントに真摯に耳を傾ける。なんか素直だな、と感心する。そんなコメントをしていたら、別のグループの方もコメントを求めてやってきた。自作に対する反応を知りたいという気持ち、思い出すし、よく分かる。少し大きめのサイトを立ち上げたとき、「ねぇねぇ、どう? 見てくれた?」と道行く誰にでも聞きたかった。

平均点以上だと思うと告げた上で、ここでもやっぱり手放しで褒めることはできなかった。自分だったら自分が修正できることを聞きたい、と思うからなんだろう。ここはこうした方が良いのではないか。ここは多分こう見せたいのだろうけれど私にはこう見えた。ここはこうした仮説があるのだろうけれど、私にはそれが妥当には見えない。結構自分でも辛口だと思いつつも話す。さっきの壇上の講評ではなく今回は相手の顔色を見つつ話せるのが救いだ。自作に対するコメントを聞き漏らすまいという目の輝きが消えない。なんだか自分でも鍛えたくなってくる。いいデザイナに育つかもしれない。

帰り道、自分達が経てきたつまらない苦労はして欲しくないな、と改めて想う。別に甘やかしたい訳ではない。別に薔薇色の開発環境を用意できるとも高ぶってもいない。でも私達の苦労話は昔話にしたい。次世代には次世代なりの苦労があるだろう。

とりあえず、サイトを何らかの形で一望できる情報の塊を生成しておきたい。サイト開発時の情報管理に新しい光を灯しておきたい。Ridualの今夏(2003)製品版リリースを目指して、現在格闘中。講評した学生さんから辛口のコメントが届くやもしれぬ。それもまた楽し。

以上。/mitsui

ps.

オフィス井手(講評相手、これも縁だし:-)

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