コラム No. 47

怒り

怒りは心の中で腐敗する。確か落合恵子氏がどこかで言っていた言葉だ。最近それを時々感じる。何かに怒りを感じ、それを心の中に貯めておくと、徐々に不機嫌である時間が長くなる。怒りを貯めながら、不平を言葉にすると、口から出た言葉が更に怒りを増殖させる。

クライアントのサイトを作るとき、余り仲間内で不平大会を開かないようにしていた。言い出したらキリがないし、自分で止められなくなると分かっていたから。どんなサイト開発も、実際のところ技術的な問題やアイデアの問題で壁にあたるよりもクライアントや上司を含めた開発メンバとの問題の方が大きかった気がする。いわゆる衝突状態や振り回される状態に陥る。

今までで一番衝突したのは、元COBOLエンジニアとがっぷり組んでサイト開発をした時だった。今から8年ほど前の話である。COBOLに限らずメインフレーム系の人たちは、開発の段取りがきっちりしている。Web界の人たちから見たら、ガチガチに見えるほどだ。でもそれは、そうしないと品質を保障できないから、そのような仕組みになっている。

元COBOLの彼には初めてのWebサイト開発。そんな彼にとって、Webのチャランポランさは許しがたいものに見えたに違いない。アイデアが出た途端にコードを書いて公開する。ミスが見つかったらすぐさまコード修正して公開する。DB定義も必要が出るたびにフィールド追加が次々と発生した。仕様書は事実上存在しない。たまりかねた彼は、公開一ヶ月前にコードフリーズしろと言い出した。リリース1ヶ月前からHTMLも含めて全てのソースコードの変更をするな、テストをしろ、と。COBOLの世界では当たり前の常識的なワークフローである。しかし、サイト開発は数ヶ月でリリースまで持っていく。ひどいのは工期が一ヶ月あるかないかだ。

まさに顔を合わせる度に言い合った。それが延々続く。結構まいってくる。でも負けずに話した。何故変更が必要か、どうしたいのか。彼の話も聞いた。何をリスキーだと感じているのか。何をすれば納得してくれるのか。上司が心配する程の間柄だった。でも全て表で言い合ったことが良かったと思っている。彼のいないところで、彼の悪口は極力言わないようにした。まぁ意図的にそうしたというより、クタクタで文句を言っている体力もなかったし、無茶なスケジュールだったので時間もなかった。で、そのプロジェクトは成功に終わる。クライアントには他社にない機能を提供できたし、そこのコアユーザにいかにも受けそうな機能だった。我々はチャレンジすることで体力も自信もつけた。

その後私はその会社を去り、彼も数年後に自分の会社を興すためにそこを去った。でもその数年後、彼からmailが届く。久々に会ってみると、一緒に組まないかと誘われた。結果的にその話には乗らなかったけれど、彼との衝突を色々と思い出してなんだかおかしかった。しかも彼が興した会社はUNIX系Webの分野に特化していた。分からないものである。

あの時飲み屋等でウサを晴らしていたならば、こんな関係にはならなかった気がする。そう言えば、お互いそのプロジェクトの間一度も呑みには行かなかったけれど、打ち上げの時には隣に座って祝杯を上げた。優等生的な言い方だけれど、私は彼から沢山学んだし、彼も私から多くを学んだと思う。今後一緒に仕事をするような機会があれば、またあんな衝突をするだろうけれど、多分もっと上手くやれるような気がする。

私の知っている同業者の中では、クライアントに振り回され続け、常に不平をブツブツ言う癖がついている人たちがいる。かく言う私も独り言ならかなり言っている。でも複数人で意気投合した文句言い合い合戦は避けている。こちらが文句を言っている間、多分先方も腹を煮えくり立たせている事が多いはずだ。お互いに「なんて馬鹿なんだ」となじり合っていて作られたサイトで、ユーザが気持ちよく歩きまわれる訳はない。

一人でブツブツと文句を言っていると、結構そういう自分が馬鹿馬鹿しくなってきて早めに醒める。何で先方がそんな反応をするのかを考えられるようになる。そんな時、カーッと熱くなっていたのが、昔桃井かおり嬢がCMで言ったように、「世のなか馬鹿が多くて….」と気だるそうに言えるようになる。余談だが、このCMは凄く好きだったんだけれど、「馬鹿」という言葉が引っかかって、台詞が差し替えられたと記憶している。たしか「おりこうさん」になった。断然「馬鹿」の方があっている。もう一度みたいCMだ。でも何のCMか憶えていない。

怒りを燃え立たせる方に力を入れないこと。これは短工期プロジェクトの必須条件かもしれない。坊主にくけりゃ袈裟まで、となりかねない。余計な誤解や判断が混じっていく。ただでも分かり合えないのに、わざわざ壁を増やすことはない。

でもそうすると、何でも事なかれ主義で衝突しない関係を奨められる。でもそんな中から本当の関係は生れない。お互い言いたいことを我慢するのは体に毒だ。今まで何件か間接的に支援したプロジェクトがある。こういう仕事が一番辛い。クライアントに直接もの言うことも許されず、間に立つ人たちの労苦を感じ取りつつ、言うべきことを言わなければならない。本質以外のところでひどく疲れた。

クライアントにしても、何も発注先に威張ることが目的ではないはずだ。発注先からのアイデアに従うことは負けることではない。そもそも陰口が多いプロジェクトは、どっちが勝った負けたというニュアンスがついている。誰もがある程度は楽しく仕事をする方法はあるはずだ。それはどちらがどちらを従わせるかではない。良い関係作りは良い衝突を繰り返すしかないように思う。

では、腐敗したモノを処理するにはどうすれば良いのだろう。先日面白い体験をした。飛行機で移動中、始終泣き続ける子と嬉しそうに大声で笑う子に出会った。同じ便ではない。どちらの場合もクタクタで私は寝たかった。どちらもそれを邪魔してくれた。でも前者に比べ、後者は後味が悪くなかった。楽しんでいる人を見ることは、悪いことじゃない。特に子供の無邪気な笑い声だったことも幸いしたと思う。金持ち父さんの嫌味な笑い声だとどうなるか分からない。睡眠を邪魔された後に心に残るものを考えながら、楽しむこと喜ぶことの大切さを考えた。

仕事で怒りが溜まるならば、仕事で楽しむことをすればいい。そんな理想主義の言葉が浮かんだ。でもハズレじゃない。出来ないことではない。そうやって考えることが、これからを考えていくことになるんじゃないだろうか。

以上。/mitsui

ps.

7/18 発売の WebDesigning に「Webサイト開発の効率化を考える」というテーマで4ページ書かせて頂きました。良かったらお読み下さい。

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