コラム No. 31

ゴジラ、メイド・イン・チャイナ

子供の頃、よく怪獣遊びをした。レゴで作った町や、枯葉や木切れの大都会を、ビニール製の怪獣を闊歩させた。何をやっていたのかは憶えていないが、それが楽しかったことだけは分かっている。けれど、その怪獣に不満を持っていたのも憶えている。怪獣の目や模様の塗り方が雑だった。今見ると昔の映像はチャッチィけれど、当時の私の目にはリアルで、当時の怪獣のオモチャは、たとえ高いものであっても、かなりチャッチィものだった。材質もデザインも、色の塗り方も、子供だましの域のものが多かった。この白い点が、もう0.5ミリ右に寄っていて欲しいとか思って遊んでいた。だから自分で描き足したり、ヤスリをかけたりして壊して(?)いった。親から見ればゴミのようなものが、私の宝であった。

その頃から約30年を経て、驚きに出会った。バンダイ製「ゴジラ名鑑」。そもそも本物の怪獣デザインを担当するような方が高々8cm程のゴジラをデザインする。そしてそれが200円で販売される。完全な通常の量産品。そのこと自体が驚きだが、実物を手に取ると更に驚きが深まる。

手足の爪の塗装は二重になされている。一度薄い色が塗られ、その上に少し濃い目の黄色っぽい色が塗られる。発色を考えているのかもしれない。目も少なくとも二工程はかかっている。塗りだけじゃなく細部にわたるまで、心憎い「作り」をしている。型が取り易く組み立て易く、部品に分けるところにも感心する。ここで組み立てるようにすればゴジラ本来の姿を崩すことなく組み立てられるんだ。私のような素人目にも、たぶん製造工程で何か手落ちがあっても、最終製品にでる悪影響を最小限に抑えられるようにデザインされているのが分かる。子供の頃欲しかったゴジラがここにある。手に持ち色々な角度から眺めてみる。もう帰れない子供時代を懐かしく思う。あぁこうした本気で作られたオモチャで遊びたかった。これが量産されていることに溜息が出る。

複数種類あるゴジラで共通しているのは、ゴジラの背びれ(?)の部分が体と一体化していない点。背びれを持つと引っ張るようにして取り外すことが出来る。そして、その背びれの塗装がされていない素材地のところに「CHINA」の文字。

どんな工場でこのゴジラが生産されているんだろうと想像する。どう考えても、昔のゴジラに対する想いが強い人達を集められたとは思いにくい。教育のために何本か映画を見たかもしれないが、後付でゴジラの記憶をインプットされた方々が、この製造に関わっていると想像する。しかし、それを手にして眺める私達の気持ちをよく分かっている。数センチのモノだからこそ、塗りの正確さも、従来製品よりも厳しく、スキルが要求される。もしかしたらかなり機械化されているのかもしれないが、200円で販売されるものである、人力で作られていると想像する方が自然だろう。

中国の力は様々なところで報道されているので、周知のことだ。しかしその実力をまざまざと見せ付けられる思いがする。ただ労働力が安いのではない。その製品を実際に手に取る人の心の機微に触れる仕事をしているのである。もちろんバンダイの管理体制の勝利の面も強いだろう。しかし、これはメイド・イン・チャイナである。

近い将来、Webのデザイン界にもチャイナパワーが入って来る予感がする。その時、日本語も英語にも長けた中国デザイナが口にする言葉が頭に浮かぶ、「日本のデザイナ、日本人の心、分かってないね」。

別に私は国粋主義者でもないし、文部省の定義するような愛国心も持ってはいない。しかし、屈辱だと感じると思う。世界中が繋がっているインターネットの中で国を意識するのは変な話だと思うけれど、それでも日本にアピールするデザインは、日本に住んでいる者達(ここは国籍不問)が長けていたいじゃないか。

Webデザインの分野は、まだまだビジネスの側面では「お飾り」として認識されている。GIFパーツが一個数百円でやり取りされている。着せ替え人形に騙されてくれるほど、エンドユーザは馬鹿じゃないし、甘くない。そんなやり方で、訪れたユーザに何かを直訴することは難しいのだ。しかしどんな理想論も正論も、価格の前には説得力が落ちる。中国の労働単価は驚くほど安い。私一人の単価で十人も二十人も雇える。十人のユーザビリティテスタ付きのデザイナと張り合うのは、常人には難しいだろう。そして実に勤勉だ。言葉の壁はさほど高くないかもしれない。この流れの先には、デザインの中国発注も絵空事ではない。アニメの作画をアジアで行っていくように、Web制作もそうなっていくかもしれない。そしてその理由が、ただ「安い」だけではなく、「理にかなったデザイン」になるかもしれない。

Ridualを見せに行脚していると、どちらかと言うと最新技術との接点に関する質問を受ける。そしてそれらをサポートできないと興味がないと言われる。しかし、いざネットでモノを買うなり予約するなりする際に、日本のサイトの平均値が見えてくる。何故そのページの後にこのページが出現するのか理解できないことが頻発する。購入中に自分が何処にいるのか分からなくなる。買いたいのに買う手続きが分からなくて文字通り右往左往する。技術とか見た目とか、そんなレベルでなく、頭を抱えるサイトはゴロゴロしている。最新技術がどうとか以前に、情報のデザインをすべきだと言いたくなる。

情報デザインは、別に特別なことをする訳じゃない。隣の人が迷わないようなサイトを作ること、自分の親や近所の人が迷わないサイトを作ること。そうしたことの延長線にあることだ。こんな場合ヒトはどのように動くのか、そんなことに注意を払っていくことが原点だ。それは、ゴジラファンがゴジラ名鑑の人形を持ったときにどう感じるのかを想定して製造されるのと無縁ではない。有形の量産品に魂を込めて作ることが出来るなら、無形の情報デザインもそれほど困難ではないだろう。いや、既に多くの海外勢がこの業界にも来ていて、私が見えていないだけかもしれない。

外国勢に自分達の力量のなさを指摘されるのを屈辱とは思うが、でも同時にワクワクするという感じもする。誰が作ったかに依らず、今でも素敵なサイトを見つけたら、「やられたなぁ」と言いつつ向上心に火が灯る。もっと良いものを作ろう、作りたい、しっかりしなきゃ。そんな気持ちが湧き上がる。

そんな炎の燃料は、やはり頑張る意思と頑張りしかないだろう。先日の日経ビジネスの特集のタイトルが手厳しい、「もっと働け日本人」。しかし中を読むと励まされる。身近に頑張っている人たちが既にいる。頑張れない訳じゃない。やる方法はある。方法もボトムアップもトップダウンもある。しかも書かれてある方法は奇抜なものじゃない、今当たり前と思っている事柄を別の角度から見直して、強靭な意志で実行しているだけ。そうやれば出来る。そうすれば、より高みに到達できる。

人参をぶら下げられて、走っていたこともある。その人参は、僅かな格差であったり、地位だったり。でも今は、ぶら下げる人参を、かなり自分で選べる状況になってきた。何を得るために今を頑張っているのか。自分でリスクを負って生きるとはそういうことなのだろう。本質的な問題に直面している。きっと、誰もが。

日経ビジネス 2003年01月27日号/特集:もっと働け日本人

以上。/mitsui

Back to top
x
No Deposit Bonus